今、ラトビアのリガにいます。(これは2週間前位に友達の家のベッドで書いたものです)
イギリスを含めて4カ国に行ったことになるのですが、色々と感じることがあります。それは国際情勢に関することもあるのですが、結局はどう生きるべきかとかそういうこと。
どれも当たり前のことで、もしかすると国際情勢を読み解くために私のメルマガを購読してくださっている方がいたら、たまにはそれ以外の話もするのでごめんなさい。
私の祖父は毎日毎日同じ話を繰り返していて、それは我が家ではとても当たり前のことでしたが、祖父が毎日伝えてくれたことが私の戒めとなり私はとても感謝しています。それと似た話かもしれません。祖父が言っていたことのうちのひとつは、人に嘘をついてはいけないよ、という話などです。4つか5つくらいの短い言葉があって、晩酌しながらそれを繰り返していました。家族は、まぁまぁ、また同じ話だって言う雰囲気なのですが、私は子供の時より今の方が、祖父の言葉が本当だと実感でき、心から感謝しています。
まず、今回過ごしている時間において、改めて気が付かされるのは、友達はとても大切だということ。私が友達を大事にしてきたかはわかりませんが、友達に恵まれてきたとは思います。特に私は細かな連絡をとったりするのが上手ではない。用事もないのにsay helloができないタイプで、よく親娘で毎日メッセージのやり取りしてる友達とか見るとすごいなと思う。毎日仕事など目の前にあることをこなすので精一杯で、私には遠く離れた友達と頻繁にやり取りするほどの余裕がないタイプです。その上、私の多くの友人たちもおそらく、男っぽい人が多いのかもしれない。
私の高校はロンドンから電車で2時間くらいのところで、週末はいつもロンドンに遊びに行っていました。いつも帰るのは夜遅くなのですが、そうすると、電車と電車が交差して、まるで電車が宙に浮いているように感じる瞬間があるのです。そこでいつも感じていたのは、こんなにたくさんの人がいるのに、実際に言葉をかわすのは極わずかで、人と人が出会うのは本当に奇跡なんだなと。そして心の中でいつもあの浮いてるように見える人々の幸せを祈っていました。そのくらい暇だったとも言える。笑
今の様にネットが中心の世界ではなく、数年間は手紙やメールでのやり取りが中心でした。メール自体も日本では復旧したのが割と遅かったと思うので、しばらくは手紙でのやり取りでした。イギリスの高校の時の私の趣味は葉書を書くことだったかもしれない。あの時代は、考える時間が今よりも多く確保されていて、私はその時今よりも哲学的だったと思う。
私の視聴者さんの平均年齢は私の年齢よりも大体20歳以上上なので、年下の私がもしかしたら上からな感じで話してるように聞こえるかもしれなく、いつも申し訳ないなと思うのですが、最近思うことは、時間軸の大切さです。どんなに馬が合う人と知り合って即仲良くなっても、たとえ心の距離感はそこまで近くなくても長い間知っている人とだんだんと仲良くなるのとは全然違うのですよね。私がイギリスやヨーロッパで再会する友人たちは皆、大体15−20年は知っていて、大体が一緒に勉強した人や一緒に働いた人です。断片的にでもお互いの色々なことを知っていて、話が止まらない。
実はロンドンに到着した翌日の夜、なぜか私はロンドンでも人気の寿司カウンターに居ました。毎回全ての友達に会うことはできないのと、毎回お土産を持って行けるわけではないので、日本人の友達はどうしても後回しになってしまう。日本に来ると会えるし。昼間、友達と友達の娘と一緒にブランチをして、カルティエのエキシビジョンをやっていて(私の別の友達がメンバーで無料で行けるので)行ったのですが、帰り雨が降ってきて、軽くお茶でもしてお別れをしようかと言うことになったのですが、ちょうど良いカフェが無い、もしくは席がない。皆考えることは同じ。その上、その駅は以前私が住んでいた駅でもあったのですが、駅を使う人が多すぎて駅に入る人数を調整してる時間帯。どうしようかーと言ってたら、友達がすぐ近くで働く旦那さんに電話をかけている。旦那さんはシェフで、実は何年も前に私の母が来た時、気前よくご馳走してくれました。しかもウニを出してくれて、母は色々詳しいのと気が合ったみたいで仲良しになってました。圧倒的にポジティブな人たちは波長が合うのですよね。そうしたらその日は祝日だから、お客さん少ないからおいでと。
それでとても美味しいお寿司をご馳走になりました。私はお寿司はもちろん大好きですが、カウンターで握りたてを頂くことは滅多にありません。なぜだろう。笑 ロンドンに住んでいた時の方が色々と理由をつけて美味しいお寿司を割と食べていました。(だってスーパーで売ってるお寿司など、あれはまた別のもので…本物のお寿司が食べたくなる)いつも日本に行くと必ず行っていたメニューのないレストランは、実は家のすぐ近くなのに、1年に一回も行かなくなりました。それに、ヨーロッパに居る時の方が社交的でいつも夜でかけていました。コロナ禍もあって、外食が減ったからかもしれません。(でもそれよりも犬がいるからかな)
友達の娘(お嬢さんと書くべきかも、でも英語ではdaughter,直訳してしまう)は、お父さんが大人気のシェフなのに、そこで出されるものは今の所カッパ巻きしか食べられるものがないそうで。。美味しいお寿司をいただきながら、最近のロンドンのビザ事情について色々教えていただきました。そうすると、今はグレーなんだけど、そのうちこうなるから、こうしておいた方がいいよと言う情報があり、おかげさまで対策をすることができました。永住権を持っている友達のほとんどは私とは違う状況で、例えばもう既に英国の国籍を持っていたり、こういう情報を持っている友達が意外にいないのです。そしてその数日後、他の国に引っ越した永住権を持っている友達と話した時にこの情報を伝えたのですが、その友達の弁護士は正しい情報を持っていなくて、後日本当にありがとうとお礼のメッセージが来ました。お寿司をご馳走になって有益な情報もいただき本当にありがたいことでした。
永住権とかビザに関することは頻繁に変わるし、何の話をしてるかで少しずつ話が変わったり、解釈が違ったり、保持するための条件や、取得するための条件や、本当に色々あるので、弁護士が言ってることが全てではないと言うか、彼らも間違えたりするので結局はビザを取得した経験者や保持してる人の話が一番なのですよね。
今は寿命が長くなっているし、一つの人生で何回もの人生を生きている感じがします。だから、苦難もこれまでの歴史の人類とその中身は変わらなくても、数は多いし、シンプルではないのかもしれない。国際情勢も多極化してますが、人間の問題も複雑化しています。だからこそ、自分のことを理解してくれる友達の存在は大きいです。家族に理解してくれる人がいればとても幸福だと思います。でも家族だからと言って何もかも理解できるわけではありません。
私の周囲にいるある程度成功した人たちを見ていても、お金があっても何に使うのか。一緒に美味しいものを食べたり、良い時間を過ごすために使う家族や友人の存在は重要です。お金があったり成功してる人に、人は寄ってきますが、その中にいい人がいる場合もありますが、何か狙いがある場合も多いでしょう。だから、本当に安心した時間を過ごすためには、皆家族や友人を大切にするのだなと思います。
今回の旅程は、ロンドンに行く5、6日前に慌てて立てたものだったので、友達へのお土産も見繕う時間が非常に少なく、そしてそれもお金がかかることです。次回来る時はもっと色々持ってきたいなと思いました。そう言うことを考えると、お金の使い方も非常に大事だなと思うのです。
そんなわけで、上記を書いてからも2週間近く経っています。
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