今日はタッカーカールソンによるジェフリーサックスのインタビューのpart1を配信しました。動画自体は2時間近くあるのですが、冒頭の20分でもかなり濃かったです。タッカーカールソンもこのアサド政権の急な崩壊には驚いた様で、ジェフリーサックスに話を聞きたかった様です。
アメリカがイスラエルに代わって、シリアでも戦争をしている 代理戦争の構図を明確にし、内務省を率いたウェズリー・クラークの驚くべき出来事 について触れ、5年以内に7つの戦争が起きるという紙を見せられた話をします。リストにある7カ国は、レバノン、シリア、イラク、イラン、そしてアフリカのリビア、ソマリア、スーダン でその中で戦争が起きていないのがイラン。しかし、現在の主要メディアはとにかくイランが戦争をする様に焚き付けています。
ネタニヤフ首相とアメリカのアドバイザーが「クリーンブレイク」と呼ばれる政治文書を作成したことから始まり、9.11の後、イラク戦争がその最初の戦争として本格化した。その次の戦争は実はシリアの予定だったということでした。(クリーンブレイクとは、中東をきれいに断ち切るということ 過去との決別 )
アメリカはイラクで泥沼にはまり、反乱があったので、次の戦争、つまり20年前にすでに起こるはずだったシリア戦争には進めなかった。
しかし2011年、先週アサドを崩壊させたのは、オバマの下で始まりました。
誰が大統領であろうと関係ない。
これは長期的なディープ・ステートの政策だ。
オバマはCIAにアサド打倒を命じた。それは2011年に始まった。
イスラエルが30年間、中東におけるアメリカの外交政策を牛耳ってきたから
イスラエルロビー があり、クリーンブレーク戦略があります。彼らが実際にこの狂気を実行していることだ。アメリカ国民には何も説明しない。誰にも言わないが、一歩一歩見ていくことができる。タッカーカールソンも当時働いていた報道機関で、何が起きているのか理解できなかったと言っています。
イスラエルロビーに関して指摘しているジェフリーサックスですが、当然大イスラエル構想に関しても触れています。
英語ができる人は、ジェフリーサックスの英語はわかりやすいのでお勧めです。でもジェフリーサックスの全てを肯定する訳ではありませんが。。。
ここからは、私がこの年末年始、お勧めする映画などを紹介していこうかと思いますが、結果的にロンドンの街が2000年代に発展した経緯にあったオリガルヒの存在についても書いています。
そんなわけで、今夜は結局film nightになりました。without popcorn.賞味期限の近いかりんとうと共に。
毎年この時期に必ず観るのは Love actually、イギリスに住んでいると当然TVでもこの時期放映される気がするし、この映画ができたのが2003年、とても懐かしい。
私の動画をずっと見てくださっている人は、きっと2021年、2022年、2023年、と今年でこの話を聞くのは4回目かもしれない。
けれど、もし観たことがない方がいたら、私がお勧めする映画の一つです。この映画には政治も出てくるし、人間にとって永遠のテーマみたいな、Love actuallyというタイトルの如く、愛に関するオムニベス形式の映画。
冒頭はヒースロー空港、ヒューグラントの声で、9.11について触れます。でもあの事件で、私たちが聞いたのは憎しみなどではなかった、Love is all aroundと言って始まったと思う。確かに、私たちは今のこの激動の歴史の転換期にあって、人間の本質とは何か、私たちは何の為に生きているのか、など普遍的なクエスチョンを投げかけられていると感じるタイミングがあります。ガザでの虐殺、アサドによる拷問など、人間が人間に酷いことをする、ワクチンでたくさんの人が死亡し、人口削減が進む。そんな情報を目の当たりにする時、とても悲しくて苦しい気持ちになる。どうして?と思う。でも、そう思えるのも、その気持ちの背景にあるものは私たちが愛で包まれているからではないでしょうか。
当然、この作品を観ていると私にはとても懐かしい景色が出てくる。そして、監督なのか、スタッフなのか、英国やロンドンに対する愛が詰まっている。さりげなく映るのはセントポールだし、リアルなロンドナーの生活や気持ちが表現されている。
でも、懐かしく感じるのは、私が今日本にいるからではない。私がどこにいても懐かしいと感じるもので詰まっている。2003年のこの当時iphoneはまだ無かった。そう、当時皆同じようなリングトーンで電話は鳴るし、まだショートメッセージのやり取りばかりだった。結婚式のビデオを探しにくる時もDVDですらない、ビデオテープ。キーラナイトリーが綺麗で見惚れてしまう。
結婚したばかりの友達の奥さんが訪ねてくるフラットで、気まずくなって出てくるのもロンドンブリッジの奥。この近くにはDesign Museumがあって、あまり知られていないマーケットがある。イギリスに住み始めた頃もよく行ったし、社会人になってからも週末よく行った。私の友達がいつも連れて行ってくれたかなりローカルな場所。
この映画が公開された2003年私はロンドンにいました。だから大体この映画を一緒に見たのは誰かなども何となく想い出せるのですが、それよりも、その後に毎年観る時の気持ちを思い出します。
そもそも私はオムニバス形式のものが結構好きです。江國香織の小説、『抱擁、あるいはライスには塩を』は私の代弁者的な本でもあります。私の幼少期はこんな環境でこんな気持ちと近いしいものがある。要するに、普通の家庭環境ではないということと、家族の形は様々で、人が幸福だと感じるものも様々。
Anyway, ロンドンは1990年代からは大分変わってしまいました。街が開発され、それを楽しむ人もいますが、古いロンドンを愛するイギリス人もかなりいると思う。日本でも、少し前の時代のドラマ化や映画化がある様に、イギリスにもそれはあって、そういうのを観ていると、キッチンの感じとか、古き良きイギリスが映し出されていてスコーンと紅茶を頂きたくなるし、普通にそこにあるもの、階級や貧富の差や歴史などが表現されている。特に最近開発されているフラットはどこもモダンキッチンです。ご存知のようにイギリスの家は価値が下がらず、購入したら好きなように改装するのですが、私の保守的な知人(お父さんの様な)はもちろん、このことにブーブー文句を言います。確かに、古き良きイギリスのキッチンは落ち着きます。
日本では、礼儀正しく、ドアは手で開け閉めするものだし、階級自体があまりありませんが、どの家庭でも日本の家系であれば大体躾けられる作法や同じだと思います。私がイギリスに住み始めた頃、ホームステイで、そのお宅は離婚したシングルマザーの家でした。話す英語から、労働者階級ではないけれど、ミドルクラスと言っても下の方。お母さんは、キッチンのトップに座っちゃうのです。しかも、訪ねてきた友達とお茶をしながら。
イギリスのキッチンの好きなところは、冷蔵庫にもドアがついていて、全部戸棚の中に仕舞ってしまうスタイル。
ケンジントンにあるペントハウスにある知人の家は、とてもモダンな作りですが、お金のあるモダンな家なので、キッチンは家全体のサイズに比較してかなり小さい。けれど、仕事帰りによく寄って、私が動画の脱線でする様な色々な話をしたものです。イギリス人は仕事帰りにパブに寄ることが多いですが、私たちの世代は、ビールよりワインを飲む方が多かったし、ordinaryな環境ではなかったので、パブでビールを飲む人たちを見かけながら、どこかに行っていたというのが本当の話。それでもSunday Brunchはパブでローストディナーを食べることも多かったけれど。
ロンドンにいる人は、個人主義の影響もあって、誰かの目線を気にせず、自分の好きなことをするし、皆が同じでなくて良い、とか2000年代は既にインターナショナルな雰囲気が充満していたので、誰にも迷惑をかけないけれど、好きなことをやっていたと思います。それが日本人に関わらずロンドンにずっと居たいと思わせる魅力の一つ。いつも伝えている様な、グローバリズムの観点からはかけ離れてしまうのですが、コスモポリタンはコスモポリタンで、調和している部分もあり、例えば私はクルド人で有名になった埼玉の川口を取材で訪れましたが、問題を起こすのは一部で、中にはひっそりと、母国では味わえなかった自由、生活に向き合っている人もいることを確認しました。ロンドン、英国には移民の問題はありますが、中流階級の移民できちんと仕事をして税金を払っている人は、国籍を取得する前はその国に居続けたければ問題を起こせないのもあり、ひっそりと真面目に努力をして勤勉に、生活しています。私が住んでいた時でさえ、ロンドンには60%以上の外国人が住んでいました。コロナ禍にイギリスに帰った時は、日本人・韓国人が激減していて、かなり変わった様子に驚きました。私が働いていた頃は、何人であっても同じロンドンを愛する人として皆がロンドンでの生活を楽しんでいました。私もその一人であり、よく第二の故郷と言うけれど、No.2以上の存在でした。だから、移民問題は鎖国をしてしまえば簡単なことですが、このグローバルな世界でそれは難しい。でも私はロンドンでそういう、理想を少しだけ経験したと思う。でも、もちろん、外国人の労働や、外国人の永住権の取得、不法滞在の取り締まりなどは、日本とは比べ物にならないほど厳しいのです。日本の移民の問題は、まず法整備をせず、合法的に移民を呼び寄せ、彼らにお金を与えたり優遇しているところです。同じ移民問題と言っても、根本的に違うのです。
そのロンドンも、今はロシア・ウクライナの戦争の影響で、物価が高騰しています。不動産は一時期下がった時期もありましたが、すぐに戻り、経営に成功して家を購入しようとしていた友人は暫くは諦めざるを得なかったとか。。
ちなみに、ロンドンの街を開発した資金源は、例えばロシアや中国などの様です。当時、いわゆるリーマンショック(2009年)以前のロンドンは、最高の好景気で、でもイギリス人の知人は'‘ロシアン’だと言って怒っていた理由が今になってやっとわかります。保守的な人は、イギリスがどんどん移民を受け入れることや、外資に買われ開発されていく様子にため息をついていました。
1990年代、ソ連の崩壊を機に、ロシアの資産家がロンドンを目指しました。ロシアだけではなく、多くの富裕層がロンドンで事業を展開しました。
英政府は2022年3月10日、クレムリンと密接な関係を持つチェルシーFCオーナー、ロマン・アブラモビッチ氏や「アルミ王」オレグ・デリパスカ氏らロシア人オリガルヒ(新興財閥)7人に資産凍結などの制裁を発動しました。対象資産は推定150億ポンド(約2兆4000億円)ロシアの石油大手ロスネフチのイーゴリ・セチン最高経営責任者(CEO)、VTBバンクのアンドレイ・コスチンCEO、国営ガス会社ガスプロムのアレクセイ・ミレルCEO、国営パイプライン会社トランスネフチのニコライ・トカレフ社長、ロシア銀行のドミトリー・レベジェフ会長も制裁リストに載せられた。
当時、元ロンドン市長のボリスジョンソン首相がロシアに対して厳しい政策をしたのは、市長時代の政策に関する理由もあった様です。ボリスジョンソンが市長だった時代に私はロンドンに居たので、ボリスバイクと呼ばれる自転車(街中にあるレンタルサイクルの様なもの)に乗って、当時はスマートシティという言葉も知らず、かなりグローバリズムな生活を楽しんでいたと思います。
ボリスジョンソンが「ロシアの軍産複合体」に目をつぶってきた当事者として批判される中、反ロシアに舵を切った訳ですが、先日の配信でお伝えした様に、確かロシアのラブロフ外相だっと思いますが、ボリスジョンソンに芯がない、つまり利権やお金賄賂で動くと示唆していたのを思い出します。
ボリスジョンソンは、イートン校、オックスフォード大学ベリオール・カレッジを卒業しているので、純イギリス人の印象が強かったのですが、実は彼はトルコ系(曽祖父、自由主義ジャーナリスト・政治家)でもあります。生まれはアメリカです。(すぐにイギリスに引っ越していますが)母方の曾祖父にはロシア帝国出身のリトアニア系ユダヤ人で、アメリカで古文書学者となったイライアス・ロウ(英語版)がいるそうで、彼は多国籍に渡る先祖(キリスト教徒、ユダヤ教徒、ムスリムからなる)について触れ、自らを『ひとり人種るつぼ』(one-man melting pot)と称しています。
父方曽祖父には、サー・ジョージ・ウィリアムズ (イギリスのキリスト教徒、キリスト教青年会(YMCA)の創設者)も居て、お父さんは世界銀行で勤務していたので一度米国に戻っていますが、日本でいう小学校以降はイギリスで育った様です。ただ、住んだ場所や、大学時代にBullingdon Clubに属していた経歴などを見ても、いわゆるエリート意識が強いのでしょう。
彼はジャーナリストであった時期が長いのですが、1週間だけコンサルタントに就職した後、家族のコネで保守系紙『タイムズ』で働き始めました。エドワード2世の宮殿を巡る歴史考古学関係の記事で学者の発言をでっち上げたため、すぐ解雇されているそうです。
保守系紙の『デイリー・テレグラフ』記者となり、1989年から1994年まで同紙のEC特派員となり、ブリュッセルに駐在していたジョンソンは反EC色の強い記事を書き続け、特に欧州統合の強力な推進者であったジャック・ドロールを厳しく批判し、ECの首都たるブリュッセルの地にあって、数少ない欧州懐疑主義のジャーナリストとして知られるようになっていった様ですが、当時の彼を知る記者たちの多くは、彼の記事はECの信用を傷つけるために虚偽の事実や誇張を交えていたと批判的に振り返っている記事もある様です。
米ウォール街では許されない方法でお金を動かしたいならロンドンでやればいいと考えた投資家などは、実際にそうしてお金儲けをしていた。それを許した、もしくは優遇したのはおそらくトニーブレアの時代(1997-2007年)で、その舞台となったロンドンの市長はボリス・ジョンソンだったと推測すると納得できます。
イギリスは「これまで進んでロシアやウクライナのオリガルヒに手を貸し、戦争の遠因をつくってきた」と国際社会は見ていますが、実際のジョンソンもその一人。ウクライナのオルガリヒと言えば、ゼレンスキーの育ての親で、三重国籍のコロモイスキーが有名ですが、もちろん他にもいます。ドミトロ・フィルターシュ氏はガス系のオリガルヒでクレムリンに近いとされています。
ロンドンの地下鉄の駅をウクライナの投資家に売ることに前向きだったそうですが、元銀行員のアジット・チェンバース氏の提案に乗り、第二次大戦中は高射旅団司令部として使われたブロンプトン・ロード駅(当時の所有は国防省)は結局、2014年2月、ウクライナの大富豪ドミトロ・フィルターシュ氏(ロシアゲートとウクライナ問題を陰で操る大富豪)に住宅開発用として5300万ポンド(約85億円)で売却された様です。
クレムリンに近いと見られるフィルターシュ氏は天然ガス利権で一財を築いたオリガルヒ。フィルターシュ氏はウクライナ屈指の富豪でありながら、今は「ロシアの軍産複合体」を援助したとしてウクライナ当局の制裁対象となっている。彼は今、オーストラリアに亡命した様だが、祖国に帰りたいと言っている様で(本心かどうかは不明)アメリカへの引き渡しの裁判が続いたが、現状はまだどこにも引き渡されていない様です。
これ以降は有料ですが、ただのエッセイです。
さて、話はロンドンの生活に戻りますが、昔、イギリスにはどの街にもHMVなどがあって、CDやDVDが販売されていました。特にDVDのボックスセットがかなり安くなって売り出されているので、今の様なオンデマンドで見放題の時代とは違って、皆で貸しあったりしていました。
他に年末年始におすすめのシリーズはDownton Abbey、これも私が好きなドラマですが、このドラマは日本に来てからちゃんと観ました。交通事故に遭って入院した時、冷房が効きすぎた病室でずっと観ていました。
あとはLost In Translation、私の好きなレパートリーを全部紹介してしまいました。政治的な意味でのグローバリズム、形を変えた共産主義という手法は許容できませんが、実際、世界がグローバル化する中で私は生きてきました。移動がこんなに簡単でなければ、Lost In Translationという映画は生まれなかったでしょう。東京が舞台になっていて、私も日本に来る時、似た目線で見ていたので、くすくすっとおかしく笑ってしまう。エレベーターに乗る時、イギリスでは私は小さい方ですが、日本では逆。Park Hyattには私が当時勤めていた会社の社長が来日時にはいつも泊まっていて、あのバーを見に行ったりしたし、しゃぶしゃぶを食べながら、自分で食べる物を調理させるレストランて一体何なんだ、と八つ当たりしたり。
ハリウッドがプロパガンダの世界であることを分かった上で、それでも美しい映像や音楽を聴くのは癒される。でも、そんな中、大好きなLove Actuallyを観ながら、こんな記事を書いてしまった。
大好きな人の為に、別の言語を学ぶ。
旦那さんが購入したゴールドのネックレスは、自分へのギフトじゃなかった。
珍しいイギリス英語のアクセントにちやほやするアメリカ人の女子たち
大好きな人と良いところまで行って、でも結局メンタルに病む家族を優先せざるを得ないアラフォー女性。
人生には、どうにもできないことがたくさんある。私の人生の前半は、それを思い切り理解した時間でした。もちろん、日本に生まれ、恵まれた環境の中生きてきたのは事実です。それでも割り切れない状況や、家族の介護、会社の整理、スケールの違う悩みが皆それぞれにある。それでも人に優しくできるのか、試されている。
嫉妬心や劣等感があると、なかなか成功はしない様です。自分の与えられた環境に感謝して、その中でできることをする、人に感謝される仕事をしていると、必ず認められると思います。勉強したり努力をしていると、自分の力が足りないことや、ちっぽけな自分に気がついて、謙虚になると思います。
Love Actuallyは一生懸命に生きるあの時代のロンドンの人を描き、その一部は普遍的な人間についてのクエスチョンもあると思う。
最近、私はこう思います。私の動画を観てくださる方は、そもそも余裕がある方々なのだと。余裕が無いと、日本のことを考えたり、世界情勢に目を向けたりはなかなかしない。
私たちの戦いは、長期戦です。だからこそ、(私も含めてですが)、今を生きることを楽しむことも大事にしてほしいなと思います。
今日の動画のアフタートーク部分では、大掃除の話をしました。実は私の住むところでは今日排水管の掃除がありました。毎年この時期に来られますが、何となく大掃除を始めました。最初は、9:30以降に来られる予定で何時に来るのかわからなかったので、待つ間お掃除を始めたのですが、大掃除というキーワードのおかげで、いつも気になっていたところを整理整頓したのですが、よく考えると、大掃除でもありますが、DIYもしました。私が持っている三脚は用途に分けて使い分けていて、軽いものもあれば重いものもあります。それらが可動式の棚の上にあると、徐々に動いてしまうのです。以前は壁にかけていたのですが、石膏ボードなので下地が弱く、天井に金具をつけて吊るしたかったのです。モノタロウというDIYにとってはありがたいサイトで金具を探しても見つかりません。少し高めでしたがインテリア系のオシャレなサイトで発見して購入したものが昨日届いていました。なので、それを設置して、ついでにその近くにある、犬用のコートなどをかけたり、私のスカーフをかけているレールをもっと機能的な物に変えました。正直この三年は私は自分のプライベートの生活をかなり置き去りにしていたので、私の犬のもう着られないサイズの服もかかっていました。なので、着られないサイズのものはお洗濯をして、今後近所の犬にお譲りします。
日本の掃除の力は本当にすごいと思うし、‘こんまり’は世界で知られています。イギリスには大掃除の習慣はないものの、クリスマスの前にはデコレーションをするし、その時に片付けたりする気がします。
2月は真っ暗なので、家の壁の色を明るくしたり、DIYする人が多いかもしれません。
今日の計画に無かった大掃除は、ずっとやりたかったことを実現できて大満足です。片付けや掃除は毎日少しずつ積み重ねてこそ、なのですが、そこに完璧は無くて、完璧と思っても、数日経つと埃は出てくるし、新しいアイディアも思い浮かびます。居住環境を美しく整えることは、精神的にも余裕が生まれます。私自身は、掃除や整理整頓があまり得意な家に育ちませんでした。だからこそ、イギリスに行って、苦労したものです。
そもそも、階級にもよりますが、例えばアメリカの中流階級ではお掃除は人任せだと思います。学校でも、子どもが教室を掃除するのなんて、おそらく日本だけでしょう。だからこそ、そのコンセプトや考え方自体は違いますが、ある一定のレベルの人は家を飾り、美しくすることがおそらくステイタスだと思います。
安倍昭恵さんがトランプ邸に招待されましたが、自邸への招待は最上級のもてなしな訳です。
トランプ邸とまでは行きませんが、いつ誰が来てもおもてなしのできる家を維持したいですよね。
今日は長くなってしまいましたが、お陰様でCPACでのお手伝いはきちんと務めることができました。しかし、本来取材したい私にとっては苦渋の選択というか、今後も含めてどうするべきか良い機会になったかもしれません。
でも、与えられた役割はきちんと果たそうと思っていたので、動画撮影などはできていません。
ここ最近、業務委託先など、さまざまな仕事で若い人の仕事にうんざりすることが多いのですが、CPACの会場で初めて一緒に働いた方は素晴らしい方でした。私が一通り終わって、少し早めに出るのでご挨拶をしましたが、仕事ぶりが気持ち良かったとおっしゃっていただけてとても嬉しかったです。というのも、今後一緒に働くとかそういうことは無い訳です。だから言わなくても良いことではあるのですが、お互い相性が良かったのでしょう、良い1日を終えられました。逆のパターンもあるので、本当に感謝です。
しかも、日曜日は夕方まで余り咳をした記憶がありません。それなりに緊張していたと思います。月曜日になって、火曜日のYOGAには行けないことが何と無くわかり、配信してみたら、咳が酷くなってしまって、慌てて呼吸器内科の予約をしました。2020年から私は冬に喘息にかかるようになってしまって、まだ12月だったので油断していました。病院で、いつも1回目に出される薬は効かないと文句を言ってw、次の1週間乗り越えれば、その後元に戻っても構わないから、と言って強めの薬をだしてもらいました。先生としては、悪くなってから来ないで頂戴という感じでしたが、だったらそれを前回行った時に言ってよと思いながら、そうだった。今後1年ちょっとは無理をしたら体に出ると言われていたことを思い出しました。
だから、みなさんがどう思われるか、実際私の文章力はどうなのかはわかりませんが、体調が悪くなったら、メルマガを配信しようかなと思いました。
久しぶりに飲んだ薬は呆気なく聞き、今日はほとんど咳が出ません。昨日のMAXさんとの配信では、すごく我慢していましたし、打ち合わせで咳き込み、心配をかけてしまいました。
だから今日は、まさか大掃除ができるとは思いませんでしたが、家の一角がとっても美しくなって、その上動画配信も諦めていたのに、ジェフリーサックスとタッカーの話がおもしろくて、伝えたくなって夕方16:30頃から、配信準備をしました。できるところまでで良いやと思い、とりあえず配信予約を作成し、改めて歴史を知ることの重要性を感じました。
Love actuallyを見ながら、実は1年に2回の大事なセールがあって遅くなってしまったので、このメルマガは木曜日の朝に届く様にセットします。